ぶん屋の抽斗

bunakane.exblog.jp
ブログトップ | ログイン
2011年 06月 02日

五月雨なラジオ

五月雨なラジオ_e0220163_18321078.jpg


調整室からスタジオを見ておりますが、パーソナリティーの"とむさん"なかなか大変であります。折込みチラシの読み上げから正午のニュースと、ほぼ15分程の間一秒刻みのチェックを入れながらの作業であります。あたしは自分の出番までだらだらしておりまして、自分の出番になってもだらだらと垂れ流し。






まま、いつも行き当たりばったりのお話でありまして、今日も今日とてまったく打ち合わせもなしの本番であります。思いつきの集大成てぇヤツでして、冒頭も雨の話から。暦にも書いたんですが、今日は旧暦の五月朔であります。朔ってぇのは月が生まれるってぇ意味だそうでありまして、まま、一日ってぇ風に覚えていていただければ。

で、以前はこの陰暦しか使っておりませんでしたから、この時期の長雨、そう梅雨のことを五月雨と呼んだんです。「五月雨を 集めて速し 最上川」なんてね、俳句にもある。日本の文化や風土、自然のことなんぞを考えるときには旧暦で考えたほうがわかりやすい。元から旧暦を使っておりましたから。正月だって初春、新春なんてぇことを言いますが、新暦の二月上旬の終わり辺りでしょ?それなら「春」と言われても納得がいきますし、桃の節句もね、四月上旬頃になりますから納得がいく。

五月雨なラジオ_e0220163_18453327.jpg新暦が良くないてぇ事を言いたいんじゃなくって、世界との互換性を持つにはいい事ですから、それは持てばいい。ただね、それまでの文化を捨てることはねぇんじゃねぇかなと。メートル法なんてぇのがありまして、いつの頃からか何でもmやcmで表すようになっちまったんですが、なぜかアメリカやイギリスはフィーとのインチのと使っておりますし、ポンドだってそうじゃんかと言いたくなる。このフィートやインチ、日本の尺や寸と近いって知っていますか?これね、感覚的なものなので、寸法を感覚的に感じるには寸や尺を使った方がいいような気がするんだけどな。ま、同じように、mやcmと併用して使えばいいと思うんだけど。定規の中に混在させれば比較しやすいしどの程度のものなのかもわかる。

全てに於いてそうなんですが、新しいものを取り入れるのはいいんだけど、それまで使ってきたものに敬意を払っていないような気がするのはあたしだけでしょうかね。だって、それも文化ですし、そういった文化の上に今の文化があるはずなんですが、それを全て捨て去ろうとするのは深みが出ないと思うんだけどな。与えられた新暦にせよメートル法にせよ使うのはいいけれど、それまでの物を簡単に捨てるのはね。で、それに疑問を持ったほうがいいんじゃないかなとも。どちらか一方だけってぇことじゃなしに、新しいものとそれまでのものを上手く使いこなせるほうがね。

(柔軟性は大事)

by komamono_bun_ya | 2011-06-02 19:00 | サテライトから | Comments(0)


<< 花七宝の簪と遠州縞      海上がりは 된장국밥 >>