ぶん屋の抽斗

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2017年 02月 28日

季節感と美意識

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先だって伺った袋井市の小笠山運動公園ではしだれ梅が八分咲きでもってそれは見事でありました。春らしいいい香りに満ちておりました。ここのところちょいと引っかかることがありまして、この時期に暖かくなってきますと「もうすぐ春ですね」とか、冷えれば冷えたで「春はまだですね」のようなことをおっしゃる方が見えるんですが、ちょいとそれはどうかなと。










暦の上では「立春」から春であるという定義でありますな。先のようにおっしゃる方の中で「春」の定義は「暖かいこと」なんだろうなと。では、暖かいのが春。暑いのが夏、涼しくなれば秋、寒ければ冬。そんな簡単な定義でいいのかななんてぇことを思う。ある外国人タレントが「日本の四季について素晴らしいと言わされるのが苦痛。四季は世界中にあるよ!」と言っておりました。ま、そのとおりであります。が、なぜ日本では取り分け四季を大事にするのかってぇことをわかってないかなと。それぞれの季節をさらに三つに分け、それもさらに五つに分けて表現する繊細さがあるんです。春でいえば「初春」「仲春」「晩春」がありますな。暖かいのは「晩春」でありまして、惜しむらくはここだけをピックアップして「春」と思っている方が多いかなと。日本の文化の根底には「兆し」「行間」「慮る」「推し量る」「察する」といった「雰囲気を感じ取る」といった文化がありますな。梅の蕾が膨らみかけた時には「春」であります。その向こうの未来を「推し量り」「兆し」をとらえる感性が日本文化の根底にあるはずなんですが。そこに日本独特の「美意識」があるんです。「春は寒いけど暖かくなる兆しがあるころ」「夏は爽やかなれど雨が多く暑くなる兆しのある頃」「秋はまだ暑さが残るけど夏の華やかさが消えていく頃」「冬は春を待つ頃」といった定義かな。そこを理解できれば日本の美意識も理解できるんでしょうが。そんな繊細さが近ごろ失われてきているかなと。季節の「行間」を読むのは大事だなと思うんですが。

(ちょいとおっさんの愚痴)









by komamono_bun_ya | 2017-02-28 18:42 | 花鳥風月 | Comments(0)


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